寿々方さんインタビュー | 大和美人

『大和美人』とはグローバル化の進む現代の日本社会のなかで、女性がより豊かに美しく誇りをもって暮らすことを目的に設立した非営利団体です。

江戸がたり 家元 寿々方 さん

「姿勢を正せば、心持ちも変わります。
江戸の人々の情や粋にならい 何事も陽にとらえて生きたいですね」


人間国宝の日本舞踊家に師事し、 国内外で活躍するも、 健康上の理由から、 やむなく一度は舞台を降りた寿々方さん。古き良き時代の人情の機微を、 日本語の美しい響きと、 踊りで培われた優雅な所作で奏でる『寿々方江戸がたり』を創始し、こころのかたりべとして再び舞台に立っている。



日本舞踏家の活動に終止符が打たれ 心の支えを失ったことも


2010.7.jpg「『江戸がたりって何ですか?』と、よく聞かれます。『江戸がたり』は、落語や講談のような、伝統話芸の継承ではありません。江戸時代を舞台にした現代作家の小説や、口述で伝わる史実などに、時代背景のお話や、歌舞伎から誕生した日本舞踊の、美しく抑えを効かせた仕草を交えながら《語り》という形で聞いていただく、私独自の語り芸なのです」

古き良き時代を彷彿させる独特の節回しと、何げない手の仕草で、観客を語りの世界へと引き込む寿々方さんは『寿々方 江戸がたり』の家元である。

東京・神田生まれの江戸っ子で、六歳より日本舞踊の人間国宝、故・先代花柳壽楽に師事し、十六歳で名取りになった。以来三十年近く、花柳寿々方として数々の古典と創作を発表し、日本舞踊家として国内外で活躍するに訪れた。母を亡くし、その悲しみや諸々の始末のストレスと、女性の年齢的・身体的な変わりめが重なり、徐々に体が悲鳴をあげた。そしてリサイタルの舞台稽古中に倒れ、病院に担ぎ込まれたのだ。

「それでも本番には舞台に戻り、玄人の意地で何とか観客に気付かれずに踊り通しました」

しかし、幕が降りると立つこともままならない状態に。医師からは「慢性疲労症候群」と診断された。

「肉体との勝負である舞踊家の活動には、終止符を打たなければなりませんでした。幼い頃から、踊りだけが生きる目的目標でしたので、心の支えを失いました。今までの努力が無駄になったような虚しさも覚え、その焦りや不安を埋めるために、以前から顧問として携わっていた、自己啓発の会社主催のセミナーを、受講してみたんです」

受講者の多くはビジネスマンやOL。最初はひどく場違いな気がしたそうだ。しかし、そのうちに《人間の生きる目的は何か》を突き詰めて考えるようになっていた。

「究極の目標は《生き切ること》。であれば、職業は手段に過ぎないと気づきました。何事も陽にとらえれば、挫折も経験でありステップになるはずです。《明元素(明るく元氣で素直で素敵)》に物事を受けとめようと、決めました」


踊り手ゆえの優雅な所作を活かし 独自の表現方法で新境地を拓く


suzukata03.jpg心持ちが変わったころ、セミナーの主催者から講師の依頼が舞い込んだ。もとは話し好きではなく、むしろ口が重いほうだという寿々方さん。躊躇しながらも引き受けたのは、長年、多くの観客の前に表現者として立ってきた、本能と感性によるものであろう。最初は歌舞伎や踊りのエピソードなど、自分の中のひきだしを開け、簡単な文化講座から話し始めた。

「その後、ビジネス戦略や心構えのアドバイスを求める受講者に、あえて私が語る意味は何だろうと考えて、江戸の人情小説を題材に、現代に活かす知恵や信条をお伝えするようになりました。ほろりと涙をさそう人情の機微を通じてそれらを語り終えるころ、会場の空気が変わることを肌で感じました」

寿々方さんが選ぶのは、山本周五郎、平岩弓枝、澤田ふじ子らの小説が多い。聴き終えると心にぽっと温かい火が灯り「明日もまた生きていこう」と思えるような作品だ。

「二六五年も平和が続いた江戸時代は、文化がとても発展しました。近松や芭蕉などの芸術と、儒教思想に根づく人づきあいの文化です。例えば、最近注目をされてきた《江戸しぐさ》もその一つ。武士や商人など日本各地から集まった異文化のるつぼだったため、相手を不快にさせないための配慮から育ったのでしょう」

幸い、狂言役者の茂山千之丞氏が、寿々方さん宅を東京での稽古場にしていた縁で、十年ほど狂言を習い、声を出す基礎は身についていた。
表現方法は違っても、人前で演じるという緊張感と「間」の大切さは、踊りと変わらない。


suzukata02.jpg「間がわかった時には魔に魅入られて、抜け出せなくなると言いますが、ときどき私は、とんでもない世界に足を踏み込んでしまったと思います。続けるほどに、難しさを実感するのです」

そして語り始めて気がついたそうだ。これは「素踊り」である、と。

素踊りとは、屏風一つを背景に、役柄を特定しない衣装を着け、一人の踊り手が男にも女にもなり、情景描写をも踊りで表すもの。寿々方さんの語りも、一人の人間が何人もの登場人物を演じ、心の動きや情景を小説の通りに語ってゆく。要所要所には、踊り手ゆえの優雅な所作。芝居ほどリアルではなく、絵が見えるほどに品良く、小説の世界を邪魔しないように最小限に抑えた仕草が添えられる。

その表現方法を平成八年に「寿々方江戸がたり」と名付け、十八年に家元となった。この六月には、恒例の年一回の銀座博品館での公演も十五回を数えた。聴き手は、自分の目で文字を追うだけでは生まれてこない感情の波が立ち、目の前に情景が浮かぶ不思議を体感する。

「『小才は縁にあって縁に気付かず、中才は縁にあって縁を生かさず、大才は袖摺り合う多生の縁も生かす』と申します。私も、舞踊家をやめた後、漠然と生きていたら巡ってきたチャンスや可能性に気付かず、新しい舞台に立つことはなかったでしょう。やはり人生には、目的を持つことが大事なんですね」

寿々方(すずかた)

6歳より人間国宝、故・花柳寿楽に師事。「花柳寿々方」として数々の舞踊会・リサイタルを催し、古典と創作を発表。テレビ出演や文化庁派遣の民族舞踊団の一員として海外公演にも2回参加し、平成2年まで舞踊家として活躍。
その後、(株)ヒューマンウェア研究所顧問の取締役文化部長として、講演・研修・催事企画に従事。平成8年に『寿々方江戸がたり』を創始。彩の国さいたま芸術劇場主催「寿々方山本周五郎語り」4回シリーズに出演。平成16年に銀座博品館劇場「江戸に生きる会」の一公演を受け持ち、以降主催「江戸がたり」は現在まで39回を数える。
平成18年3月より家元となる。