浅野瑞穂さんインタビュー | 大和美人

『大和美人』とはグローバル化の進む現代の日本社会のなかで、女性がより豊かに美しく誇りをもって暮らすことを目的に設立した非営利団体です。

舞踏家 浅野瑞穂さん

「巫女舞」「天女舞」とも言われる創作舞踊「瑞穂舞」の創始者・浅野瑞穂さん。
神社や教会をはじめ、滝や海岸など大自然の中で、劇場の舞台で……瑞穂舞のステージは実に多彩。あらゆる既成の枠を超えて、舞本来の魅力である「美」と「心と身体の調和の世界」を広げている。


「自分の将来が変わる」と直感した 舞踏との出会い

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スラリと伸びたしなやかな手足、黒く長い髪。浅野さんが手を動かし、首を傾けるだけで、その場にさわやかな風が吹き抜けるようだ。生まれながらの「舞姫」そのもののようにお見受けする浅野さんだが、意外にも踊りとの出会いは15歳と遅い。

「日本舞踊やバレエには全く興味を示さない子どもでした。踊りと出会ったのは高校時代(自由の森学園)。選択科目に中国舞踊があって、その授業を何気なく選んだとき」だという。そのときの指導者が、中国舞踊の枠を超えて新しい舞踊を日本で実現しようとしていたイエン・チュン・ハン氏だった。

「踊るのは初めてだったのですが、やってみると、魂は踊ることをずっと前から知っていた、とすぐわかりました」という浅野さん。大学進学後もイエン先生のレッスンは続き、踊りに専念するために大学を2年で中退して毎日8時間以上レッスンに打ち込んだ。そして舞台に立つようになり、踊り手として新しい発見をする。

「自分が踊ることによって、お客様と私たちがいる空間の鍵が開くんです。身体の使い方ひとつで空気が変わる。すると、こう踊ろう、こうしたらどうだろう、と、どんどん興味が湧いてきて」。こうして研鑽を積み、中国舞踊の技術を極めていった浅野さんだが、やがてその世界と離れるときがやってくる。

「ある程度(中国舞踊が)踊れるようになると、なんとなく胸騒ぎがしたんです。ほんとうにやりたいことが自分にはあるんじゃないかと」。

それが何なのか確かなことはわからなかったが、浅野さんはここでいちど今までの踊りを捨てて新しい方向を模索する道を選んだ。中国舞踊以外の踊りも経験してみようとフラダンスやフラメンコなどもやってみたが、どれもしっくり来なかったという。そんなときに転機が訪れた。巫女舞との出会いである。

「巫女舞にはいろいろな法則や型があって、当時始めていた創作舞踊と並行して、稽古を10年やりました。日本人として学ぶことが多かったですね」

さらに、その後の活動方向を決定づける「人」との出会いもあった。現在、瑞穂舞のプロデューサーとして浅野さんのパートナーを務める松氏との出会いだ。「1ヵ月後が本番のイベントに、8曲の踊りを振り付けから依頼されたんです。このときいかに今まで自分が型にハマっていたかがわかりました」

これは今までの浅野さんの常識から考えるとありえないスケジュール、8曲をゼロから仕上げるには1年ほどかけていたからだ。この出会いを機に、浅野さんのなかで「踊ること」と「創ること」がどんどん自由に一体化していき、やがて自身の世界観が「瑞穂舞」となって花開いた。



「舞」とは変化。年月を重ねながら 自分にとっての美を追求していきたい


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「踊り手は自分自身が透明になって、水にも火にも、風や音にも変化します。舞は音や風に乗って人の心に自然に入っていく。だから、舞を見ていただいただけで、会話をしていないのに心が溶け合ってすごく親しくなったように通じ合えるんです」と浅野さんは舞のもつ力について話す。

言葉にして語らずとも、人の心を伝え空間を形づくる身体表現。所作や身のこなしなど身体が発する豊かなメッセージに、私たちはもっと意識を向けるべきかもしれない。


さらに「ちょっとうつっぽい人は最初、鏡に映ったご自分の姿をまっすぐに見られず、他人とも目を合わせられないことが多いんです。自分のことで精一杯。だから、他人のすばらしさがわからず感動できない。ところが、お稽古で自分自身とじっくり向かい合う時間を持ち、踊れるようになってくると心にゆとりが生まれます。そうすると、人とのコミュニケーションもよくなります。ちょっとした意識や環境の変化で人って変われるんですよ」。

最後に、今後についてお伺いしてみた。「若いときにできたことに固執するのでなく、年齢に添った形で、年を重ねながら、その時に生まれてくる、自分にとっての美を追求していきたいですね。もちろん美の受け止め方はひとりひとり違っていいと思います。自分が美しいと思うものが、もしかしたら他人にはおどろおどろしいものかもしれない。でも、生きている間、死ぬまでといっても踊れる時間って案外短
いと思うので、自分が心からやりたいと思うことに焦点を置きたいですね」。

三歳のお子さんの育児中とは思えない「大和美人」そのもののような浅野さん。気を練り、身体を磨き、舞うように空間を味わいながら生きるその姿に、古代から連綿と伝わる日本人女性の美と、しなやかな強さの源流を垣間見た思いがした。

浅野 瑞穂(あさの・みずほ)

東京都生まれ。1991年 国立音楽大学在学中、 中国舞踊界のトップスター舞踊家・演出家 イエン・チュン・ハンに才能を見い出され中国古典・民族舞踊を学び、北京や国内で数々の舞台を踏む。96年より巫女舞の大元を学び伊勢神宮、出雲大社など神社で舞を奉納。99年「観世音菩薩の舞」「夜明け」などを創作、現代音楽と舞を融合させたオリジナルスタイル『瑞穂舞』を生み出す。6月に熊野・飛雪の滝で初公演。2004年「浅野瑞穂舞踊研究所」設立。「万物に対して舞いを捧げる心」を大切にしながら公演活動や指導を行っている。
浅野瑞穂公式ウェブサイト http://www.asanomizuho.com/